
[ 1 ]
ツングース系(出雲、蝦夷)、ポリネシア系(海人族)の存在をなぜ無視するのか
縄文系でも弥生系でもないが結構古い時代から存在してるぞ
縄文系でも弥生系でもないが結構古い時代から存在してるぞ
[ 2 ]
少ないから
[ 5 ]
>>2
ツングース系の分布はずーずー弁の分布と同じだよ
東北と山陰の文化集団
ツングース系の分布はずーずー弁の分布と同じだよ
東北と山陰の文化集団
[ 3 ]
蝦夷とアイヌは文化も人種も違う
アイヌも純粋な縄文系ではなくオホーツク人との混血
アイヌも純粋な縄文系ではなくオホーツク人との混血
[ 15 ]
>>3 アイヌは北海道に渡った蝦夷の末だろう。
伝承に残るコロポックルなどの擦文文化の担い手こそが氷河期に来たから渡ってきた北海道の真の先住民族。
アイヌの成立は鎌倉あたりで、結構新参者
伝承に残るコロポックルなどの擦文文化の担い手こそが氷河期に来たから渡ってきた北海道の真の先住民族。
アイヌの成立は鎌倉あたりで、結構新参者
[ 4 ]
すぐ分類したがるよな
キモいわ
キモいわ
[ 6 ]
海人族には中華系もいるが
[ 10 ]
>>6
知ってるぞ
有名どころだと
宗像氏→ポリネシア系
安曇氏→長江系ってところか
知ってるぞ
有名どころだと
宗像氏→ポリネシア系
安曇氏→長江系ってところか
[ 7 ]
二重と一重
二重は皆仲間
二重は皆仲間
[ 11 ]
真の馬鹿「日本人は単一民族!だから外国人は出てけ!」
[ 14 ]
>>11
まぁ列島内部で様々な部族が混血しあってるから琉球とアイヌ人を除けば本土日本人の遺伝的同質性は高い
山間部住民では縄文優勢みたいな僅かな違いはあるけど
まぁ列島内部で様々な部族が混血しあってるから琉球とアイヌ人を除けば本土日本人の遺伝的同質性は高い
山間部住民では縄文優勢みたいな僅かな違いはあるけど
[ 20 ]
>>14 古墳時代の宮崎県の平野部と山間部は両者の差がめっちゃ顕著だな
[ 26 ]
>>20
頭蓋骨の比較だと宮崎平野部より西北九州の方が縄文度が高いという面白い結果があるな
頭蓋骨の比較だと宮崎平野部より西北九州の方が縄文度が高いという面白い結果があるな
[ 12 ]
うみんちゅ?
[ 13 ]
縄文だの弥生だのいちいち対立煽るクズ
[ 16 ]
遺伝子の検査キットみたいなのほしい
[ 17 ]
というか、そもそも北方から来たヤツらやスンダランドから来た海の民やその他諸々の日本列島に住んでいた人々諸々の総称が縄文人という分類なのでは?
[ 18 ]
日本人の構成
縄文系
港川人系(オーストラロイド)、縄文系(大陸性ハンター)、
弥生系
長江文明人系
その他
ツングース系、ポリネシア系、ケット系(アメリカ先住民系)など
あとコーカソイドも一応流入はしているっぽい
縄文系
港川人系(オーストラロイド)、縄文系(大陸性ハンター)、
弥生系
長江文明人系
その他
ツングース系、ポリネシア系、ケット系(アメリカ先住民系)など
あとコーカソイドも一応流入はしているっぽい
[ 21 ]
その他にウラル系忘れてたわ
まぁケットとウラルは超少数派っぽいけど
まぁケットとウラルは超少数派っぽいけど
[ 23 ]
大きく分けて、な?
[ 29 ]
ツングース系は日本神話で言うところの出雲の神
鉄器で縄文系を制圧したが稲作農耕民族の弥生文化人に制圧させられた
蝦夷はその末裔だろう
鉄器で縄文系を制圧したが稲作農耕民族の弥生文化人に制圧させられた
蝦夷はその末裔だろう
[ 33 ]
>>29 『制圧された』なら列島全土で20万人しかいなかった縄文人のDNAが弥生人が中国南部から大挙してやってきたとされる本州ですら30~40%、沖縄や南九州に至っては50%以上受け継がれていることの説明がつかん
[ 37 ]
>>33
実際は制圧というより融和したと思われる
中央政権の発達していない時代の部族社会だったろうしツングース系と縄文系は徐々に同化していったんじゃないかな
実際は制圧というより融和したと思われる
中央政権の発達していない時代の部族社会だったろうしツングース系と縄文系は徐々に同化していったんじゃないかな
[ 46 ]
>>33
弥生時代に大量に移入してきた説って埴原二重構造ってやつだよね?
なんか縄文時代の研究で、縄文時代に既に北九州あたりで少しずつ大陸からの移入があって、先住してたいわゆる縄文系と集落同士の交流や交雑もあったみたいで、
そういう流入が継続的か断続的にあったとすると弥生時代の大量移入ってのが無くても説明がつくとか聞いたことあるけど
弥生時代に大量に移入してきた説って埴原二重構造ってやつだよね?
なんか縄文時代の研究で、縄文時代に既に北九州あたりで少しずつ大陸からの移入があって、先住してたいわゆる縄文系と集落同士の交流や交雑もあったみたいで、
そういう流入が継続的か断続的にあったとすると弥生時代の大量移入ってのが無くても説明がつくとか聞いたことあるけど
[ 49 ]
>>46
どこの遺跡だか、仲良く一緒に協力して暮らしてた遺跡もあったな
どこだっけ?
どこの遺跡だか、仲良く一緒に協力して暮らしてた遺跡もあったな
どこだっけ?
[ 57 ]
>>49
すまない
うろ覚えだから名前とかまるで分からない
すまない
うろ覚えだから名前とかまるで分からない
[ 32 ]
大きく2つは大阪人と日本人な
あとは些細な問題
あとは些細な問題
[ 41 ]
隼人はポリネシア系っぽいな
文化的にもオーストロネアシア語族に近いらしい
熊襲は西北九州の縄文系か
文化的にもオーストロネアシア語族に近いらしい
熊襲は西北九州の縄文系か
[ 45 ]
>>41 代々 天皇や皇子の近習を務めたり 武勇を買われて御所の警固を任せられたり 結構信用されている上、首長は神話上では天皇家の先祖の兄の子孫に当たるって言うのが何かを感じるな。
婿養子の出雲より日向出立の天皇家に文化的にも近く、『兄』にする必要があるほど強大な人々だったのだろうか
ポリネシア系というのは同意。というかスンダランドか。隼人は海洋民族気質が強いしね。
婿養子の出雲より日向出立の天皇家に文化的にも近く、『兄』にする必要があるほど強大な人々だったのだろうか
ポリネシア系というのは同意。というかスンダランドか。隼人は海洋民族気質が強いしね。
[ 53 ]
>>41
その西北九州の縄文人はポリネシア系ではないの?
それともポリネシア系のルーツは同じだけどその時点で既に別のルーツと混血が進んでいたということかな
その西北九州の縄文人はポリネシア系ではないの?
それともポリネシア系のルーツは同じだけどその時点で既に別のルーツと混血が進んでいたということかな
[ 56 ]
>>53
西北九州弥生人の頭蓋骨は中頭で彫りが深く同時代の東日本の縄文系弥生人集団と酷似しているが
南九州弥生人の頭蓋骨は短頭で現代のポリネシア系のそれと似ている
西北九州弥生人の頭蓋骨は中頭で彫りが深く同時代の東日本の縄文系弥生人集団と酷似しているが
南九州弥生人の頭蓋骨は短頭で現代のポリネシア系のそれと似ている
[ 58 ]
>>56
なるほど
南九州の人たちが西北九州の人と同時期にポリネシアから移入して片方は日本独自の混血をし、他方は混血しなかったのか、
それとも縄文人が広く分布した後でポリネシアから移入してきたのかは分からない
なるほど
南九州の人たちが西北九州の人と同時期にポリネシアから移入して片方は日本独自の混血をし、他方は混血しなかったのか、
それとも縄文人が広く分布した後でポリネシアから移入してきたのかは分からない
[ 47 ]
あんな古来にハワイまで行っちゃう海洋民族のポリネシアンは凄いな
[ 51 ]
>>47 鬼界カルデラの煽りを受けた縄文人も南米に渡った可能性が割とあるというロマン
コメント
コメント一覧 (24)
しょうゆ顔とか塩顔とかそういうのと同じレベルでパっと見の話?
インド、東南アジア、沖縄経由と縄文
渡来弥生の朝鮮ハーフだろ
インド方面が腋臭
朝鮮方面が無臭
巨人が日本に住んでいたことをほのめかす伝承や古文書ってなんかあるっけ
俺氏の外見
目と眉が近い骨格的に
ウィンクが出来る
鼻筋は通る
そんな平たくない
目はパッチリ二重
多汗症
筋肉質体型
ちむこはデカイ
好きな女の好み
斎藤飛鳥
ただ見た目的には縄文でも本土で混血しまくってるから(現にお前自身が顔濃くてもかーちゃんが一重のぺったり顔だったり、じーちゃんがぺったり顔だったりしないか?)
うっかり一重のぺったり顔嫁をもらったりするとぺったり遺伝子が子供に優勢発現したりするからな
対するは松山ケンイチってとこか
肌の色が濃いめで目がパッチリなら縄文で
肌の色が色白めで目が小さいか細いなら弥生だ
弥生でも一重と末広型二重で小さい目の二種類存在するからな
寒冷適応してるから勿論メラニン色素は薄め
縄文は中東派生だから勿論メラニン色素濃いめ
7300年前に起きた噴火は九州四国に火山灰を数メートルから数十センチ積もらせ、東北の地層にも数センチから数ミリ火山灰の痕跡を残している、それから1000年間九州は無人の地だったと考えられているらしいよ
その後、後期縄文人としてどこから入ってきたのかはいろいろあるかもしれんけど、時代の呼称としての縄文弥生という二種類以上にルーツは様々だと考えるのが妥当でしょう
要は文化的特徴?流行?の違いやな
人種的に差があるわけではない
その断定は非科学的やな
人種的差異を表す言葉ではないが、人種的差異が無いとは言い切れない
どう解析しても
太古から混血していないと
説明できないのが日本人のdna
第一次はナウマン象なんかの獣を追って旅をした。狩猟の技術の発達と共に人口は増え、食料とした獣は減り食料を求めて旅をしたグループ。
第二次は農耕牧畜に適した土地を求めて旅をした。野生の獣は減り、食料を確保するために農耕牧畜をはじめた人類は農耕技術の発達と共に人口は増え農耕に適した空き地は減り、土地を求めて旅をしたグループ。
第三次は政治的または軍事的に敗れて旅をしたグループ。
第一次グループと第二次グループは生活圏が違うから争うよりもあるていどの距離を保った共生的な関係だったのでは。
第三次グループは生活圏がどこかに重なり、異質な文明を持って移動するため、支配被支配の関係をもたらしたのでは。
それぞれが単一のグループではなくて、複数のグループとして移動したと考えるのが妥当でしょう。