[ 1 ]
ワイ「だっさ( ?ω? )」ヒキコモリかよ
[ 2 ]
受け継がれる陰の遺伝子
[ 4 ]
通信機器背負って戦場駆け回って線引いたりするんやろかっこええやん
[ 13 ]
>>4
重い荷を背負って走り回り、しかも敵から最初に狙われそう
本部勤務の可能性もあるが
重い荷を背負って走り回り、しかも敵から最初に狙われそう
本部勤務の可能性もあるが
[ 5 ]
ワイの爺さんは特攻志願兵やわ
[ 6 ]
通信兵って兵の生命線やんけ有能やないと出来んやつ
[ 8 ]
ワイは特攻隊になったわ
懐かしいなぁ
懐かしいなぁ
[ 9 ]
ワイのジッジ徴兵も3日で帰ってええでと言われる
[ 10 ]
>>9
草
むしろ有能
草
むしろ有能
[ 19 ]
>>10
沖縄陥落後の奄美やからな正直なーんもすることあらへん即占領よ
沖縄陥落後の奄美やからな正直なーんもすることあらへん即占領よ
[ 227 ]
>>19
あっさり投降したんか?
あっさり投降したんか?
[ 11 ]
だれでもなれる兵科じゃなかったぞ
[ 12 ]
嘘松「祖父が大和乗ってた」
嘘松「祖父が長門の設計図書いた」
だいたい艦豚
嘘松「祖父が長門の設計図書いた」
だいたい艦豚
[ 14 ]
ワイパッパはインパール帰りやわ
[ 15 ]
ジッジ「ファントム乗ってたで」
ワイ「Oh!USA!USA!」
ワイ「Oh!USA!USA!」
[ 16 ]
生きてりゃ90越えてたジッジがギリ徴兵前に戦争終わった言うてたけど
キミらのジッジいくつなんや
キミらのジッジいくつなんや
[ 20 ]
>>16
て言うかその世代の孫なら40は過ぎてるんじゃ…
て言うかその世代の孫なら40は過ぎてるんじゃ…
[ 24 ]
>>16
その辺の計算考えてない嘘松多いやね
30年後もワイのジッジは海軍大佐で~とか言ってそう
その辺の計算考えてない嘘松多いやね
30年後もワイのジッジは海軍大佐で~とか言ってそう
[ 31 ]
>>16
死んだジッジは砲兵やったが検査で引っかかって宇都宮止まりやったわ
死んだジッジは砲兵やったが検査で引っかかって宇都宮止まりやったわ
[ 300 ]
>>16
92のジッジが予科練で戦争終わったつってたわ
92のジッジが予科練で戦争終わったつってたわ
[ 17 ]
平文の他に何種類かの暗号文あってモールスでくるんやぞ
それを迅速に処理なんてすごいぜじいちゃん
それを迅速に処理なんてすごいぜじいちゃん
[ 18 ]
前線勤務やとむちゃくちゃ大変なポジションだったらしいな
[ 21 ]
ワイの父方のジッジは地元で土建屋やってたから徴兵されなかった
母方のジッジは6人兄弟全員南方に行って生き残ったのは一人
母方のジッジは6人兄弟全員南方に行って生き残ったのは一人
[ 22 ]
ジッジそのころ田舎で走り回ってたわ
[ 27 ]
ワイのジッジイケメンすぎて戦線で現地っ子からモテモテやったんやぞ
当然孫のワイもイケメンやけどな!
当然孫のワイもイケメンやけどな!
[ 29 ]
訓練兵?やったとかなんとか
生きてたら90ちょいやな
生きてたら90ちょいやな
[ 32 ]
>>29
やなせたかしさんもいくらか前に亡くなられたけどもっとこれよりは上なんやし
したら余裕で戦地に赴いてられてたんやろうね
やなせたかしさんもいくらか前に亡くなられたけどもっとこれよりは上なんやし
したら余裕で戦地に赴いてられてたんやろうね
[ 30 ]
ワイのひいじいちゃん支那事変従軍してたで
[ 36 ]
只戦地から帰ってきておかしくなる連中もおったようやが…
[ 38 ]
やせたかなしい姿になってそうやな
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手塚はこれよりは後の人間だったっけ?まだ
[ 302 ]
>>39
手塚治虫は1928年(昭和3年)生まれ
終戦時は17歳
戦争が終わったことを知った時は大喜びやったらしいで
手塚治虫は1928年(昭和3年)生まれ
終戦時は17歳
戦争が終わったことを知った時は大喜びやったらしいで
コメント
コメント一覧 (50)
最終的には北京の部隊に配属されて終戦、陸軍少尉だったらしい。
戦争の話したときに、中国は戦った相手だから良いけど、ソ連だけは絶対に許せんと怒ってた印象がある。
何してたんやろな
ワイのバッバがこれやな
まあ夫と息子失くしてるからな
ワイの親父が養子にはいった
戦争とはいえ、人を殺め友が殺されてるんだ。家族や孫に誇らしく語れない人もいるさ。
酒飲んてフリチンで走り回り上官掘って終身独房で終戦でしょ
気の良い奴、他人を思える奴、勇敢な奴
そんな奴からタヒんで行くのが戦争
察してやれ
全く戦争中の話しなかったが憲兵なんて実態はどうあれ戦後の作品でだいたい極悪非道に書かれてるから孫に嫌われたくないやろしまぁしゃーないわな
ウチのジッジは、父方母方共に赤紙召集一般兵だったそうだからなぁ
生きて帰って来れたんだから大したもんだと思うけど
それでも終戦間際に羅津で機雷にやられて危うくシベリア送りになるところやったらしいで
実際に軍人として活動していたのは沖縄以外では17歳以上なので
最も若くて91歳。
小さい頃だからどんな話だったかは忘れたけど、暗号解読してたとかなんとか
うちのじいさんはNTTの前身の電電公社勤めだったから徴兵されず
おまけに外信部所属でミッドウェーの大敗もオンタイムで耳に入り
食事時に「どうも日本は負けるみたいだ…」って洩らして
婆さんに「絶対に外では口外するな!」と怒られたんだとか
やることやった後は楽そうだけど
母側が暗号解読班だったらしい
満州からの帰還兵いっぱい載せて帰ってくる船で働いたらしい、家によくわからん国のお土産あるわ
年やから同じような話しいっぱいしてくれる
でも幼少期ながらも空襲警報で防空壕に逃げた話とか、3/10の夜空が真っ赤だったって記憶は鮮明に残ってるってさ。
結構前に亡くなったうちの爺さんもそうだった。
「戦争を語り継ぐ」ってのはきっと大事なことで、俺も当時の事を(広島長崎で原爆にあった人の話も含めて)聞きたいと思うんだけど、それでも頑なに話をしたくないって人の気持ちもわからんでもない気がする。
古い船で、魚雷の再装填は人力でやらなきゃいけなかった。
海が荒れてる時の再装填は、アメちゃんの攻撃よりも怖かったそうだ。
母方のじいちゃんは、理系だからか徴兵されずに終わる。
両方とも戦争行ってないんだよね。親戚は従軍してる人いるけど。
戦果報告とか参謀本部に送らないといけないから
もう他界した
アホなの?
癒し系だな…
男達の大和の映画見て、沈み方が違うと説得力のあるダメ出ししてた。
何でももう一度令状が来て、準備してたら8月になったとか
モールス信号が鮮やかだった。
子供ができたのが30代→30代でいけば孫は中年にはならん。
若くはないが自分と弟が33と32。
12歳下の後輩の祖父はうちの祖父より少し上やったし、割合的に多いのは間違いないが必ずしもそうではない。
本人に聞いたんじゃなくて父親からの伝聞だけど
ソロモン諸島で戦死したらしい
祖父(生きていたら103?)
父(72)
自分(27)
ね。割といるんじゃないかな。
それでもそれ以上詳しく聞こうとすると『何も話せる事なんかない』って口を噤んでた。そしてボロッボロのハーモニカを吹いてくれたのが印象に残ってる。
生き残ってくれたことに感謝せにゃいかん。
首元に銃痕があったわ